不安は私達を不安定にさせ、

弱くさせて、暗い気持ちにさせる。

 

 

不安は辛い。

 

 

そんな気持ちがありました。

 

 

不安を無くすために、

私は色々なことを勉強し、

 

完璧になれば、

賢くなれば、

お金が入れば、

美しくなれば

不安は無くなるのでは?

 

 

と考えていました。

 

 

不安と戦うための活動はかなり多く、長かった

と思います。

 

 

最近読んだ本にこんな言葉を見つけました。

 

 

「本質的に獲得が不可能なものを上手に捨てること。」

(ラッセル「幸福論」より引用)

 

ラッセルが「幸福論」の中で

幸福になる条件として、

挙げている3つの条件のうちの1つです。

 

 

 

私はある日

 

「不安が全く私の人生から無くなるのは不可能なのだ。」

 

 

ということに気がつきました。

 

 

 

ラッセルの「上手に捨てる」という言葉を

 

私は「あきらめる」と表現しました。

 

 

「あきらめる」というと、

敗北感を伴う、

 

マイナスの言葉というイメージですが、

 

ここでの「あきらめる」という意味は

自分の意思で手放す、という意味です。

 

 

「上手に捨てる」とほぼ同じですね。

 

 

不安を無くそう、と不安と戦っている時には、

不安の周りを自分はウロウロして、

ずっと不安のそばに自らいてしまっていましたが、

 

 

「不安は無くなりません。」

 

 

とあきらめて初めて

 

ずっと不安の周りをウロウロしていた、

その場所から立ち去る事が出来ました。

 

 

そして、結果的に不安な時間は短くなりました。

 

 

 

戦うほど不安は自分の近くに長いこといるのです。

 

 

「本質的に獲得が不可能なもの」

 

 

というものが世の中にはたくさんあるという事がこの年齢になってやっと分かってきました(笑)。

 

 

「不安が全くない人生」は

 

「本質的に獲得が不可能なもの」で、

 

 

それは自分がどれだけ素晴らしい人間でも

きっと無理なのだと思います。

 

 

そう、悟った時から「不安」というものが、

私にとって少し意味が違うものになりました。

 

 

 

不安が出てくる理由を見つめるようになりました。

 

 

不安はただの「痛み」ではなく、

何かの「合図」と気がつくようになりました。

 

 

痛みや不快感を伴わないと行動しないので、

不安は不快ですが、

 

不安が発生した時は何かがおかしく、

何か対処するべき状況が

あります。

 

 

そのように見つめていくと、

「不安」というシステムは

人生を歩んでいくための

 

 

大切なセンサーの1つのように思えてきました。

 

 

「いつも不安」という場合は心が弱ってしまっているので、

 

専門家の力を借りる、などの対応が

必要だと思いますし、

 

 

 

一時的に不安が大きくなっている場合は、

自分の状況や心持ちを

見直すのが良いのではないでしょうか。

 

 

獲得が不可能なものを

上手にあきらめること、

 

 

穏やかに美しいメンタルの条件ではないかと

最近感じています。